「自国民より米との約束」内田樹氏のコラム

昨夜は、京都大学の大学院に留学中の中国人の若者3人と

テレビで参議院の安保法制の本会議中継を観ました。

前回の総選挙での争点、つまり安倍首相が「国民の信を問う」

といって解散総選挙になったのは「消費税率アップの延期」だったと

思います。その争点で、圧倒的与党となり、その結果が、、、。

どう考えても理解しにくいし、げせわな表現では「姑息で、卑怯者」です。

昨日9月18日の西日本新聞の朝刊に、思想家内田樹氏のコラムがあり、

まったくアグリーだったので、文章をそのまま打ち込んで転載しておきます。

きっと共同通信の配信だと思うのですが、スパーッと言い切っていて気持ちいい。
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安全保障関連法案。これほど瑕疵の多い法案を私は過去に見たことがない。憲法学者も元最高裁判事も元内閣法制局長官もその違憲性を指摘した。歴代内閣が踏襲してきた憲法解釈は「安全保障環境の変化」という一語によって覆された。立法事実は次々に変遷し、どのような危機的事態に対応するための法律なのか、ついに明らかにならなかった。廃案を求める多くの国民の声に政府は最後まで耳をかさなかった。そのようにして戦後日本を律してきた安全保障政策の決定的な転換が行われ、日本は「戦争ができる国」になる。
これほど否定的条件が整いながら。あえて安倍内閣が法案の早期成立にこだわった合理的な理由は一つしかない。それは4月の米議会での演説で、安倍晋三首相が「この夏までに、成就させます」と誓言したからである。彼は「米国に対してなした誓約の履行義務はあらゆるものに優先する」と信じている。それが国内法に違反しようと、法的安定性を揺るがそうと、国民世論と乖離しようと、「米国との約束」は優先させなければならないと信じている。
なぜか。それは日本が米国の政治的属国だからである。勘違いしてほしくないが、私はそれが「悪い」と言っているのではない。日本が米国の従属国であるのは否定しようのない歴史的事実である。敗戦国が生き延びるためにはそれ以外の選択肢がなかったのだから仕方がない。戦後70年間、先人たちは「対米従属」を通じての「対米自立」の道を必死で模索してきた。この「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略に、一定の合理性があったことを私は喜んで認める。事実、その成果として、日本はサンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰し、小笠原と沖縄の返還をかちとった。
 けれども、沖縄返還後、わが指導者たちは「対米従属」の作法のみに熟達して、それが「対米自立」という国家目的のための迂回に過ぎないことを忘れてしまった。政官財どこでも、米国に人脈やチャネルを持つことがキャリア形成の必須条件になった。ある時期から「米国の国益増大の資するとみなされた人」しか、国内の重要な政策決定に与ることができないという仕組みが出来上がった。
 安倍首相には、戦前の全体主義国家の再建という個人的な夢がある。ジョージ・オーウェルの「1984」的な暗鬱な社会への志向は、靖国参拝や特定秘密保護法やメディア支配や派遣法改定やマイナンバー制度への好尚からあきらかである。そして、何よりも「絶えず戦争をしている国」であることこそ「1984」的社会の基本条件なのである。
 ただ、これほど大がかりな政治的ビジョンを実現するためにはどうしても米国の許諾を得なければならない。逆説的なことだが、戦勝国が「押しつけた」憲法9条を空洞化し、「戦争ができる国」になるためには戦勝国の許可が要るのだ。そして、そのための必須条件は「米国と交わした約束を履行するためには自国民を裏切ることさえ厭わない人物である」という評価を得ることだった。
安倍首相はその誓言を履行した。かって韓国の李承晩、ベトナムのゴ・ジン・ジェム、インドネシアのスハルト、フィリピンのマルコスを迎えた「開発独裁の殿堂」入りを、安倍首相ははたしたのである。
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最後の開発独裁の殿堂入りは、ちょっと大げさだし、それほどの大物とも思えない。

どこかで聞いた「アメポチ」が、もっとも似つかわしいいキャッチフレーズだと思う。 
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Author:hakapaba
◆小倉で生まれて、小学校と大学は東京。
大阪で17年、東京で17年、広告会社の営業一筋。
07年夏から博多住まい、2011年6月退社し、家人の実家の医療法人の経営を手伝い、2015年4月から年金生活へ。。自宅は福岡市の西、唐津に近い糸島市福吉。海まで3分、山も近く、水も豊か。昭和7年建築の古民家を改装して、愛犬2匹とEnjyoy Country Lifeです。

人は心を一つにできたら、想像以上の成果がでると信じています。

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