日本航空123便墜落事故

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何故か、今日は朝早くから目が覚めてしまった。
2010年8月12日、テレビはちょうど25年前のJAL123便墜落事故関連のニュースを多く取り上げています。書斎でPCに向いながら、自然に本棚の「電通百年史」に目が行きました。
そうだ、25年の節目の今日、何かをしておきたい。
社史のページをめくって、墜落事故関連の本文と社葬の写真を、デジカメで撮影してみました。
1985年8月12日、JAL123便は18時に羽田を飛び立ち、伊丹に向ったのですが、御巣鷹の尾根に墜落。乗員乗客524名、死者520名、生存者4名という日本国内最大の航空機事故で、単独機としたは世界最多の未曾有の航空機事故となってしまいました。
その日、僕自身も東京に出張していていましたが、大阪支社の同僚、先輩社員7名が、帰らぬ人となってしまいました。
一口に25年、四半世紀といってみても、当時36歳血気盛りだった自分が、今ではもうアラカンとなっています。記憶はだんだんと風化してしまいますが、今日の節目の日に、朝早くに目が覚めたことに、僕自身の意味をもたせたいと思います。
改めて社史から亡くなった7名の方の名前と当時の役職、そして年齢を記載しておきます。
・永田晶令 53歳 CR局シニアクリエイティブディレクター
・藤島克彦 47歳 CR局クリエィティブディレクター
・岩井宏之 43歳 第6営業局営業部長
・本田 寧 38歳 第2営業局副参事
・須貝和郎 38歳 CR局参事
・松尾省一 35歳 CR局副参事
・吉田和太 29歳 第2営業局主事
一番若い吉田君は直接の仕事関係はありませんでしたが、ほかの6名の方は、仕事、飲み会、ゴルフ、ご近所など、夫々に繋がっていました。年齢からして、会社はもちろん、プライベートでも、ちょど人生盛りの頃と、改めて感じます。

最後に、このblgを読んでいただいた方、是非ウィキペディアの日本航空123便墜落事故をごらんください。僕もたまたま読んだのですが、デジタルとネットワークの時代、自宅のPCからあの未曾有の大事故が様々な角度からのデータとして保存されています。新たな事実も追加され、更新されていることに、驚くとともに、”今を生きる”ことの大切さと感謝を、感じています。合掌
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◆小倉で生まれて、小学校と大学は東京。
大阪で17年、東京で17年、広告会社の営業一筋。
07年夏から博多住まい、2011年6月退社し、家人の実家の医療法人の経営を手伝い、2015年4月から年金生活へ。。自宅は福岡市の西、唐津に近い糸島市福吉。海まで3分、山も近く、水も豊か。昭和7年建築の古民家を改装して、愛犬2匹とEnjyoy Country Lifeです。

人は心を一つにできたら、想像以上の成果がでると信じています。

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