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「大阪では仕事したらいかん!」

   2015-04-24 003


平成27年4月16日、大学ゼミでお世話になった村田昭治先生が亡くなった。

私の人生で一番大きな影響を受けて、そしてお世話になった方でした。

いくつかの思い出を記して、はるかにご冥福をお祈りしています。

1、電通入社のきっかけ。

  私が電通の入社試験を受けたのは、村田先生のすすめによりました。

  大学3年から4年への春休み、熱海でのゼミ合宿で、ゼミ員全員との

  個別”就職面談”で、私はソニー志望でした。

  入社試験の結果が出て(予想通りNG)、村田先生の深沢の自宅を訪ね、

  報告し、次の会社について相談した時に、先生から「畑間君、他は受け

  なくていいよ、電通を受けてみろ」と言われ、結果的に電通の社員となり

  家人と結婚もでき、今日に繋がっています。

  (実はこの時点で、長兄が電通九州支社社員として働いていて、私の志望

   のなかには、最初から電通は除外していました)

2、卒業にあたって4年生最後の本ゼミでは、ゼミ員一人ひとりに、教壇で

  色紙を書いていただきました。それが、上の写真です。

  以来40有余年、私の心の奥にはいつも「集計人でなく合算人」という言葉

  がありました。

3、電通に入社して最初の配属は大阪支社でした。

 村田先生が関西で講演とか仕事で来阪の時、事前にはがきで連絡があり、
 
 「○月○日JAL伊丹着○時、迎えたのむ。」と暗号のような?達筆で書かれて

 います。読み解くのに何度も読み直し、推測します。

 ある時、お得意先の方から「はがきになんて書いてあるか、わからない。

 読んでくれない。」と依頼されたこともありました。

 当時、村田先生は毎朝4時に起きて、届いた手紙全てを読み、その時

 すぐに返信を書いていました。ですから、1枚のはがきを書くのに、猛スピード

 です。結果、達筆?難筆?で有名でした。

 伊丹でお迎えして大阪市内へのタクシーの中で、言われた一言が

 「大阪では仕事してはだめだよ。仕事出来なければ、東京へ早く戻れるから、

 できるだけ仕事しないようにしなさい。」と言われたのです。

 この一言は、結果的に守られませんでした。

 「目の前の仕事に全力を傾けること」、こそが電通人の本分だと思います。

 結局、本社に戻るまで17年を要しました。5年程度で本社に戻っていたら?

 いまはどうなっていたか?

4、東京本社に戻ってからは、家人ともども何度かゴルフをご一緒させて

 いただきました。家人への一言、「啓子ちゃん、ゴルフのスィング中は、死んでも

 ボールから目を離さないこと」には感謝しています。なるほど、”死んでも”の表現

 に村田先生らしさが、とてもよく出ていると思います。

安らかにお休みください。

 
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Author:hakapaba
◆小倉で生まれて、小学校と大学は東京。
大阪で17年、東京で17年、広告会社の営業一筋。
07年夏から博多住まい、2011年6月退社し、家人の実家の医療法人の経営を手伝い、2015年4月から年金生活へ。。自宅は福岡市の西、唐津に近い糸島市福吉。海まで3分、山も近く、水も豊か。昭和7年建築の古民家を改装して、愛犬2匹とEnjyoy Country Lifeです。

人は心を一つにできたら、想像以上の成果がでると信じています。

北風よりも太陽が好き。

■モットーは

Something New にチャレンジ

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